2011年06月16日

アパート暮らし

今は古い一軒家に住んでいます。

アパートで生まれて、日本にいても、どこにいても、これまでの人生のほぼ全てを、団地とか、フラット(イギリスでは)とか、アパートメントとか(アメリカです)、ユニット(オーストラリアではこう呼びます)とかいう、集合住宅の中で過ごしてきたので、私にとっての家というのはそういうものだと思っていますし、それで至極快適、ひがみでもなんでもなく、一戸建てを持ちたいという気持ちは全くありません。

なのに、ブリスベンに越して来て、成り行き上、一軒家で暮らすことになってしまいました。出かけるときは、戸締まりを何度も確かめなくてはならず、床下が直接地面なので冬は寒く、屋根の上は直接空なので、夏は暑い。上にも下にも他の家があり、暑さ寒さを和らげてくれていた集合住宅暮らしが恋しい。

集合住宅だと生活騒音が問題だ、という意見もあるかもしれませんが、一戸建ても、集合住宅以上に周りの家の様子が筒抜けなのには驚きました。

一戸建ては、密閉感が乏しいのも、私にはちょっと不安です。

貧乏性?そうかもしれませんね。でも、団地暮らしが染み付いている私、もっと年をとったら、やっぱりアパートに引っ越したいものだわ、と密かに思っています。

posted by OZK at 22:14| Comment(0) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

ある作家との対話

今日は、ある作家さんのお話を聞く機会がありました。

かなり前から、この機会を楽しみにしていました。

というのは、
この作家が、
自分の育った国を離れてオーストラリアで作家活動を始めたこと、
物書きになる前は、まったく違う職業で生計をたてていたこと、
人生の中盤を過ぎてから、作家を志したこと、
自分と同世代なこと、
で、

創作のジャンルは違っても、なんだか自分と境遇が似ているなあ、と勝手ではありますが、親近感を抱いていたからです。

実際に話を聞いて、
作品を鑑賞してもらうことについて、物を創り出す事の楽しみと難しさについて、創作活動で生活して行くことについての考えに、似ているところあり、違うけれど、違うことで、また考えさせられることあり、で、
わずか1時間ほどではありましたが、とても有意義な時間を過ごすことができました。

この作家、最近、遂に、ある賞を受賞して、メージャーな舞台にデビューしました。そうなったら、そうなったで、あるレベル以上の作品を、コンスタントに発表していかなければならない、というようなプレッシャーもあるようですが、

今日私は、まぶしいような気持ちでその作家さんのお話を聞いていました。

賞をとるかとらないかは別にして、
私も、今いるレベルより上のレベルの作品を製作できるようになって、
近い将来また、
今日の作家さんとお話ができる機会があったら、いいなあ、と思いました。

posted by OZK at 22:10| Comment(2) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

いいご趣味ですね、と言われたら

最近知り合いになった人に、金曜日からのグループ展の招待状を差し上げたら、「いい趣味をお持ちで、いいですねー」と言われました。

そこで、
「いや、趣味じゃなくて、版画は本業なんです」と言いました。

別の人に同じことを言われて、そうじゃないんだけど、と思いながら、何も言えなかった数年前。

あー、最近は私も強くなったもんだ!!と思いました。
もちろん、以前と比べて、作品製作の面で自信がつき、こうした人との対応に慣れて来たせいもあるんですが。

もちろん、「いい趣味があって…」と言った人も、全然悪気ではないのは分っています。むしろ、心から、いい趣味があっていいなあ、うらやましいことだ、と思ってくださっている方もいます。

それに、趣味でさまざまなことをしている人たちにも、本当に真剣に取り組んでいる人たちがたくさんいるのは分っています。

でも、「いいご趣味ですこと。お時間に余裕があってよろしいですわね、オホホホ」みたいに言われると、そんなんじゃありません、って、やっぱり、くやしい気持ちがします。

でも、いまは、やっと、ちがいます、メインの仕事なんです、って言えるようになりました。
posted by OZK at 17:35| Comment(2) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月17日

高崎のだるま、タスマニアの鍋敷き

これは、先日、群馬出身の版画作家、小川千明さんからいただいた、高崎市吉田だるま店のだるまさんです。

darumasan-esww.jpg


だるまさんがのっているのは、オーストラリアのタスマニア州のヒュオン・パインという木でできたポット敷きですが、これにも、ちょっとした思い出があります。

ン十年前、まだ日本人の留学先として、オーストラリアがそれほどの人気になっていなかったころ、キャンべラに一年留学しました。帰国直前に、ひとりで、北はグレートバリアリーフから南はタスマニアまで、オーストラリア大陸東海岸を、バスと船を使って旅行することにしました。

最初にバスで南下して、メルボルンから船でタスマニアへ。
タスマニアの北の端について、バスで南の州都ホーバートに行く途中、農場のB&B(ベッド&ブレックファスト)に泊まりました。

女の子がひとりでやってくるとは思わなかったのか、オーナーの老夫婦が気をつかってくれて、物語にでてくる大きな木こり、という感じのおじさんが、付近の山を案内してくれたりして、楽しく過ごしました。ディナーが、白身の魚料理で、ブルーウィローの柄のディナーセットで出て来たのもよく覚えています。

泊まったのは一晩だけですが、翌朝起きてみると、おじさんが、特産の木でできたこのポット敷きをくれました。私のために作ってくれたのだそうで、横には、おじさんの名前も、泊まったところの場所も、マジックインキで書いてあります。

以来、実際にポットをのせたのは2回ぐらいだけ。熱いものをのせると、跡がつきそうでちょっとこわい。かといって、大事大事にしているわけでもなくて、いつもは、台所の片隅に放ってあったり、引き出しの中に入れっぱなしだったり。

でも、見るたびに、あー、ひとりで、よくそんな冒険もしたもんだなあ、と、懐かしい気持ちになります。その頃に人からもらったり、自分で買ったりしたもののほとんどはどこにあるのか分らなくなっているのに、これだけは、どこに引っ越してもいつも一緒、自然に、やわらかい飴色になってきました。

え?写真の向こう側にある丸いもの?あれは、なんということのないコースターです。あのへんに丸いものがあったほうが、視覚的にバランスがいいかな?と思って。

さて、小川さんのだるまさんですが、目をひとついれなくてはいけません。
え?なにがかなったら、両目をいれるのかって?

それは、ちょっとね、ヒ・ミ・ツです。
posted by OZK at 14:30| Comment(4) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

「起業入門講座」の先生とのその後

今日は、用事の合間を縫うようにして、久しぶりに会う友人とお茶をしました。

友人と言っても、友達になる前は、先生だった人で、何を教えてもらったかというと、ビジネスの始め方です。

初めて会ったのが、2007年のことなので、もう3年も前になります。ちょうど私たちが、JKDimageryという写真や美術を扱う会社を始めたばかりのころです。

たまたま、地域で出している週刊の新聞を眺めていたら、女性のための起業講座という小さな広告が目にとまりました。名前を聞いたこともない人だったけれど、ビジネスのアドバイスをしてくれる人が周りにいなかったので、受講してみることにしました。

先生の自己紹介によると、大学で起業を学び、自分でもビジネスをいくつか始め、成功したと書いてありました。私、お姉さんとオリジナル・ブランドのトートバッグを作って売ろうという人、フィリピンから移民して来たばかりで、シドニーの老人介護施設に自国出身の看護婦を斡旋するエージェントを作ろうとしている人、額装済みのポスターのようなものを売ろうとしている人の4人が、生徒として集まりました。

授業は1週間に1回3時間ほど、地元の商工会議所の長や、税金のエキスパート、既にビジネスを始めて成功をおさめている人などをゲストに招き、時には、地元で月1回開かれているマーケットにグループとして場所を借りて、実際に物を売ってみるなど、なかなか有益な内容で、半年ほど続きました。

翌年は、インフォ―マルに、2週間に1回集まっていましたが、いつしか、不定期になり、先生をしていたスーザンとトートバッグのエイミーと私だけがお茶に集まる、という形に落ちついて、随分になります。

その間、エイミーは、自分でオーストラリアでバッグを作るとコストがかかりすぎると、バッグ作りをあきらめ、自分もエッセンシャルオイルの販売をしようとしていたスーザンも、今は、将来カウンセラーになるべく大学の通信教育で勉強をしています。

オーストラリアは、統計的に言って、個人経営のビジネスが多いらしく、政府もそういう動きを後押ししているのですが、起業した人の多くは、5年もたないうちにやめていくというデータもあるそうです。

私たちの場合、世界金融危機に見舞われ、途中でかなりビジネス環境も厳しくなり、いまだに景気も回復の途上にあるというなかで、極小ビジネスを始めようとしていたわけですから、条件的にもかなり難しかったと思います。

そういう意味で、先生だったスーザンが、起業をあきらめて、結果的に別の道を進むことになったからと言って、責められない気がします。今は、お互いにいい“お茶飲み友達”で、ちょっと離れたところに住んでいるエイミーが、こちらに来る用事があるときに、それぞれ時間を都合して集まっています。

JKDについて言えば、厳しいなか、今も続いています。3年間の間に、いろいろ学ぶことも多かったし、痛い目もみたけれど、これまでに身につけた知恵を生かして、良くなりかけた景気の波にのって行かれたらいいなあ、と思っています。

世間話が主になってしまったス―ザンとエイミーとのお茶ですが、ときには、「あたしたちはやめちゃったけど、JKDは、こんなに大変な時によくやってるよ」と褒めてもらっているんだか、あきれられているんだかは分かりませんが、そんなことを言われたりもします。ここまで頑張ったのだから、あともうちょっと頑張って、ひとはな咲かせたいものだなあ、と思います。


posted by OZK at 17:59| Comment(2) | 自分史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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